2024年の振り返り

音MAD Advent Calendar 2024に参加している。去年に引き続きありがとうございます。

このポストでも書いたが、2024年は「伸縮率がすごくてリニアな1年とは思えない長さ」があった。大きなトピックだけ挙げても

など、人生の流れ方が大きく変更されうる出来事がいくつかあり、さらに細かいことを数えていけば色々と記録しておくとおもしろい1年だったような気がしているので、年報を書いてみたい。日別にピックアップして書いていくので、音MADの話のみが気になる人は4月~5月あたりを読めばよいだろう。


1月

  • 1日……音MAD10選の放送が終わってそのまま、親戚の集まりに徹夜で出席。全員が集まれるのは1/1しか無いらしく、ここ数年は意識が朦朧としたままおせちを食べている。16時頃に能登半島地震があり、NHKプラスでずっとニュースを見ていた記憶がある。学生にはあげるというルールで24歳まで粘り続けた最後のお年玉だった。
  • 2日……10選と正月が終わって落ち着いたと思いきや、2月頭に〆切(だったと思う。もう覚えてない)の修士論文を1文字も書いていないことを思い出して、震えていた。真面目に研究していなかったので、書くための材料も乏しく、ダメ院生としてダラダラ過ごしていたツケである。実を言えば何故かこの時点でもダラダラしており、自分には常軌を逸した先延ばし癖があるなと自覚した。
  • 4日……個人鯖に「ほんまにスケジュールやばいのにダラダラしてる自分が意味わからなくて卒倒しそう1月」という書き込みログ。じゃあやれや!Twitterにも「1月はすべてを回収しないとヤバいのにすでに3日寝てるだけなのがヤバすぎる」と書いている。こいつはバカなんだと思います。
  • 6日……この頃、卒業できるかが本当に不安で異常な寝汗で目が覚めるということが多かった。自律神経が狂っていたのだろうな。
  • 11日……久石譲が指揮したストラヴィンスキー『春の祭典』にハマった。某氏とこれの話になって劇場で見れる機会あったら見たいですねーと喋った記憶。まだ見れていない。
  • 15日……2週間後に修論発表会。何とか形になっている風に見せるために起きている間はほとんど机に向かっていた気がする。最初からやれや!
  • 16日……

    良いこと言っている。最近は頭が良くなりたいので物事を整理して捉えるということを意識している。頭の中に図を作るイメージ。

  • 18日……『傷物語 -こよみヴァンプ-』を見た。fedibirdに「昨日観た傷物語こよみヴァンプ、けっこう人生に影響与えるレベルで心に響いた感覚がある」と感想を書いた。この時、やはりおれはクリエイションがやりたいのかもしれないなと思った。憧れに過ぎないかもしれない。
  • 19日……ノーベル賞を取りたいと思った。
  • 27日……たぶん修論が大詰めに入っている気がする。しかし細かい体裁や発表用の資料などは完成していなかったのでまだまだ激走中。
  • 28日……高速合作の唯一のコンセプト「何でもOK」が公式からツイートされる。これによって後でなかなかな目に合うのだが、結果的に絶対に自分では超えられない壁を超えることになったので良かったと思う。
  • 29日……修論発表会。正直に言えば、逃げ切ったという感想しか無かった。
  • 30日……仲の良い高校の友人と今敏千年女優』のリバイバル上映を観た。面白かった。

2月

  • 2日……極端な不摂生によって体重が90kg近くになってしまった。
  • 4日……高速合作の自分のパートで3Dを使いたくてBlenderに手を出そうとするが、めんどくさすぎて1回も使わなかった。
  • 5日……音MAD作者のナラティブの話をした。端的に言って、音MAD作者の作家性(あえてこの言葉を使うが)に注目したかったのだと思う。
  • 9日……SHIROBAKO劇場版の「アニメーションを作りましょう」を見て感動した。
  • 11日……otogrooveの告知生放送。素材が無いと何も思いつかないので、とにかく何でも出してくれ!という話をし続けた。ここなら適当に出してもよいかと思われるように心がけた。
  • 12日……「信頼できるアニメアイコン」。
  • 15日……ラジオのタイトルが「ザ・ラジオ番長」に決まった。形骸化しつつある-音MAD大分解-はその後付け足した。
  • 16日……高速合作のラストパートのために新文芸坐で劇場版スタァライトのライティング上映を観た。今までで一番だった。
  • 18日……ラジオの告知を発表。就職して時間がなくなってからも音MADのことを強制的に話す機会が欲しかった。ガチで忘れてしまったこともあるが、とりあえず年内は続けられていて良かった。
  • 20日……「大人になったらゴルフがやりたい」とのこと。いま、職場ではゴルフが流行っている。おれはやってない。
  • 21日……この頃の僕は躁だったのだと思う。卒業と就職による精神の不安定さが鬱ではなく躁に出た。ここですごく高速合作でやりたいことが膨らんでいったので悪いことばかりではなかった。
  • 23日……地獄に興味を持った。精神世界としての仏教が好きなんだと思う。
  • 27日……

    これ未だにあるんですけど、やっぱりどこかが壊れてるんですかね?

  • 28日……職場の配属先が東京と判明。引っ越す機会を失う。こどおじルート突入かと思ったが通勤時間がキツくなってきて後々引っ越すので回避。

3月

  • 1日……

    面白い。

  • 7日……大学院修了が確定。修士(工学)になったが、実力は伴っていない。そういう生き方になるのだろうなと思った。
  • 9日……ラジオ初回。
  • 10日……otogrooveの公募〆切。まとめを作りながら公募を待っていたのでこの時点でけっこう合作の骨子はできていたと思う。
  • 16日……「全殺全救」を宣言。
  • 17日……音MAD作者麻雀大会で77位の賞を貰う。
  • 20日……新潟国際アニメーション映画祭で高畑勲かぐや姫の物語』を観た。『平成狸合戦ぽんぽこ』も観た。どちらも心に残っている。
  • 30日……

4月

  • 1日……日記を書くのをやめた。仕事とネットを切り分けたかった。
  • 7日……研修が大学の授業みたいで疲弊。おれは大学生が好きじゃない。
  • 12日……『アメリカン・スプレンダー』をU-NEXTで観て感動。主演のポール・ジアマッティは『ホールドオーバーズ』という作品の公開が今年控えているのか、とこの時思ったが、『ホールドオーバーズ』はオールタイムベストに入るほど素晴らしい映画だった。
  • 15日……

  • 26日……研修に通うバスの中で高速合作の自分のパートの音声を聞き続ける毎日だった。この日で研修が終了。映像が一切作れていなかったので修論並みに焦っていた。なんで今年2回もこんな目に合うんだよと思った。ひたすら自分が悪いだけであった。

5月

  • 6日……肝臓の数値がめちゃくちゃ悪くて不安になった。産業医からこのままだと寿命60って言われたし。いまは正常値に戻りました。良かった~!
  • 18日……otogroove当日。当日に完成した。ギリギリすぎて最終盤の制作時の記憶が薄い。最高のイベントだった。やり切った。おれの音MADは一旦ここで終わった。
  • 4月~5月は研修とotogrooveが重なっており本当にキツかった。otogrooveが終わった時、ようやく集中して仕事ができるな~と思った。

6月

7月

  • 都知事選の影響を受けて仕事がクソ忙しくなった。
  • 21日……

    これに行った。今でも光景が思い浮かぶ良いライブだった。

  • 一人暮らしの機運がかなり高まった。
  • 26日……Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下で『墓泥棒と失われた女神』を観た。良かった。

8月

  • 1日……トリプルファイヤーの「EXTRA」にハマった。
  • 3日……音MAD:華を見た。めっちゃすごかった。国家に対する音MADという視点が生まれた。
  • 11日……『SIMD』を投稿。ボカロPになった。おれはミュージシャンになりたい。
  • 23日……おれにとってのハロプロとは何か考えていた。
  • 30日……山田尚子『きみの色』を観た。良かった。

9月

  • 2日……音MADを全方向性のものではなく無方向性のものとして捉えようとする。以降、この方向性で音MADを考えている。ダダイスムとの関連に興味を持ったのもこの頃からだと思われる。
  • 9日……誕生日。25歳。
  • 21日……引っ越した。引っ越して一番良かったのは、母親と喧嘩しなくなったことであると思う。仲は良い。

10月

  • 衆院選の影響を受けて仕事がクソ忙しくなった。
  • 家電とかを買った。洗濯機は買わなかった。
  • ギターを買おうと思った。買ってない。
  • 鶏むね肉を時間を掛けて焼いた。
  • Wii太鼓の達人を遊んだ。すぐ飽きた。
  • カレー用の鍋を買うためにめちゃくちゃ歩いてニトリに行った。ついでに馬事公苑にも行った。「食と農」の博物館にも行った。

11月

  • 高橋龍太郎コレクションを見に行けなかった。
  • 周りがすごいのが悔しくて本気でおれも頑張らないといけないと思った。
  • 人生で初めて大阪に行った。また行きたい。
  • バカに嘘つき呼ばわりされて尊厳が傷つけられた。射殺したかった。
  • 洗濯機が届いた。

12月

  • 最近寒い。
  • 来年も頑張ろう。

けっこう忘れていることもあったな。あえて今年の記憶から一つベストを選ぶならば、やはり、

になるだろう。今年もありがとうございました。来年からもよろしくお願いします。