人生日報 2021.11.10~2021.11.14

2021.11.10

 久し振りにはてなブログのエディタを開いたら「こんな見た目だったっけ……」と強い違和感を感じてしまい、直で書く気がなくなったのでメモ帳にいったん書いています。
 日記に飽きてから1ヶ月が経ったそうです。飽きたというか、

 

 すでに書くのに飽きてます。やめようかと思った。でも書き続けるぞ~!再開するために。

 ああ、書きたくない前置きは省略して、書きたいことを書けばいいんですね。

 最近何もしてません。ていうか今月何もしてないし、何だったら今年何もしてません。TwitterYoutubeを見ていたら1日が終わっています。最悪ですね。
 Youtubeを見ていたら、高校生がチャート(数学の問題集)の分からない問題を質問する動画が伸びていました。動画サイトに分からない問題について質問をカマす胆力にみんながウケていました。おもしろいアカウントだな~、でもこういうアカウントってこの1本だけ動画上げてたりする謎のアカウントが多いよな~と思って動画一覧を見てみたら、めちゃくちゃ動画を上げていたのでびっくりしました。端的に言えば受験生の女子高生のVlogなんですが、語り口が面白いのと声が聞きやすいので他の動画もなかなか面白く、素で面白い人っているんだな~と思いけっこう見てしまいました。
 でもなんか外で一人でべらべら喋ってたり、布団の柄を「ベルサイユ柄」っていう謎の造語で呼んだりするのを見ていて、聞き覚えがあるな~と思って考えていて気付いたんですが、1時さんに似ていますね。1時さんのスペースを聞いている時と同じ感情になっている自分を発見しました。日常の事象・発見を謎の視点と造語とスピードで喋っている人はおもしろいのですごい。

 めっちゃおもしろい。

 

2021.11.11

 昼間に自分の思考回路について言語化できそうなポイントを見付けたので帰ったら書こうと思っていたんですが、めんどくさくなってしまいました。でも書けそうだから書くか。

 同年代よりも上の世代の方が喋りやすいということについて。たぶん「おれより長く生きている」というのが良いんだと思います。私は年功序列的な価値観をある程度内面化してしまっているので、自分より長く生きている人への尊敬が少なからずあり、その場合下からの話法でいけばいいのが明確なのでやりやすいんですね。同世代だと、同世代的なコミュニケーションを強いられてしまう感覚があってうまく話せない。敬語が好きだから敬語で喋りたいけど変にぎこちなくなってしまうとか。インターネットの人には100%敬語でいいのでその辺がいいですね。こういう意識の問題とは別に、単純におれの趣味が古いとか、おれが性善説を信じすぎているとか、自覚していないけど人をナメているかもしれないとか、諸問題が絡み合っているんですが、世間や自分に合わないものを唾棄すべきとして切り捨てられる人間じゃないので、ずっと当惑しています。

 ギャラクシーさん回、あるな~と思うことが多くて面白かった。「孤立しようとしてる」って言われたことある気がする。

 

2021.11.12

 何もしてねー!枕詞のように唱えていますが、本当は何かはしています。書くほどじゃないことと、書かなくてもいい雑事しか起きていないという意味になります。

 速いダンスミュージックが好きみたいな顔をしているのに、Spongebob Squarewaveを今日知りました。カッコいいですね。去年のBalter Festivalのライブストリームが終始ふざけていておもしろかったです。

 あと、近所のスーパーにも肉屋にもハラミが売っていませんでした。悲しいですね。母いわく、「関西ではよく見掛けたが関東ではあんまり見ない」らしい。おれに安いハラミを食わせてくれ!

 

2021.11.13

 現実と同様にネットでの交友もあまりない私には珍しく定期的に参加しているインターネットの会があり、行ってきました。ゲームをしながらお菓子を食べ酒を飲みピザを食うという享楽のすべてを内包した会です。

 その帰りの電車内ですが、歯が痛い。会の人でこれを読んでいたらすみません、白状しますが、18時くらいからずっと歯が痛くて異様に口数が減っていました。申し訳ないので黙っていましたが、すみません、マジで死ぬ程痛かったです。ここまで来てようやく歯医者に行きます。医者嫌いもほどほどにした方がいいなと思いました。以前に虫歯をした際は「口の左半分がなくなった」と形容する程の痛みでしたが、いまは口の右半分がなくなっています。自業自得ですね。因果応報ですね。痛ッてー!!!!!歯医者行きます。

 帰ってきて光速で歯を磨いたら落ち着きました。なんか赤かったな。歯医者行きます。

 

2021.11.14

 11日に書いたことについて、おもしろいテーマだと思うので、もう一度考え直してみましょう。まず前提から。おれには「自分より上の世代の人の方が喋りやすい」という認識があります。反対に苦手なのは、同世代、もっと限定的にいえば同年齢の人とのコミュニケーション。ここまで書いて、この場合の「同世代」というのは学校空間における「同学年」と同じ意味であることに気が付きました。納得したい問題は「なぜ同世代とのコミュニケーションが上手くいかない(そもそもやる気がない)のか?」ですが、「なぜ同学年・同環境における学生とコミュニケーションが上手くいかないのか?」とした方が適切っぽいです。こうなると話が変わってきますね。つまり、「同年齢」だからコミュニケーションが上手くいかないのではなく、その上に「同環境」で「学生」だから上手くいかないと考えてもよさそうです。ここで環境を視点に人生を振り返ってみましょう。

 まずは幼稚園の前から。私は幼稚園の前に通うこども施設みたいなところ(ももたろうという名前でした)に通っていました。記憶が弱いので、この頃で覚えていることは一つだけですね。弁当で渡された枝豆ごはんがマジで食べられず、ご飯が終わったみんなはアンパンマンを見始めているのに、おれだけ枝豆ごはんと睨み合いをしながら泣きそうになっていました。結局食べたんだかは覚えていませんが、この頃は何も考えていなかったので、これが原因で皆と喋れなくなった訳ではありませんね。まったく名前も顔も覚えていませんが、引っ越す時に仲の良い友達に会えなくなるな、と思っていたような気がするので、まだ対人関係に不安を抱えていた感じではなさそうです。

 次に幼稚園。この頃も記憶があまり残っていませんが、外で遊んだりはせず、主に本を読んでいました。それこそ幼稚園児が読むような絵本ですが。周りは子供なので外で遊ぶのが主流でしたが、一人で本を読んでいる方がおもしろかったのでしょう。この時点で孤独になりそうな雰囲気は見えています。幼稚園では友達がいたかどうかの記憶もありません。一人で本を読んでいるので、あまりいなかったんじゃないでしょうか。対人関係で記憶に残っているのは、先生ですね。女性の先生で非常に懐いていた先生がおり、この人は家庭以外の環境で初めて尊敬した/心を許した人物だと思います。これが単なる子ども的な大人に対する信頼感なのかわかりませんが、そうでないとするならば、いまに連なる「上の世代の方がコミュニケーションを取りやすい」感覚の萌芽かもしれません。こうなるとすごく根源的な性質ということになるのでおもしろいですね(まだ5才!)。

 次に小学校。幸いにして荒れていない小学校だったので、比較的平穏に過ごしたという認識です。6年間って結構長いので時期にもよりますが、基本的に大人しい態度の子供だった気がします。他人からはどう見えていたのかわかりませんが。例によって記憶力が無いので体系的には覚えていませんが、人生に強い影響を与えた出来事は定期的に思い出すもので、幾つか書けそうなことがあります。

 1つ目ですが、3年生の頃の担任の先生が昭和の親父の生き残りのような人で、おれは「睨むな!」(睨んでいるように見えるらしい)とよく怒鳴られていました。こう書くと恐ろしいですが、形式的な記憶として覚えているだけなので、これがトラウマになっているとかではないですね。この先生について覚えているのは、メシについて。詳細な流れは忘れましたが、なんか給食でパンを床に落としちゃって「食べれない!」とかって騒いでる子がいたんですね。そうしたら先生が、「床に落としたくらいが何だ!」と物を説く体勢に入り、自分のパンをわざと床に落とした後、ゆっくりと拾って食べ、「な、食えるだろう。だから騒ぐほどのことでもない」とその場を制したことがありました。いま書いてもちょっとトんでる人だと思いますが、やり方はさておき、私はなるほど、と妙に納得してしまいました。ここで得た感覚は、モラルとかマナーは越えようと思ったら普通に超えられるものであるということですね。友達がイキって食うならまだしも、先生である大人が正論みたいなトーンで繰り出してきたので衝撃でした。これはあんまり同年齢と喋られないのとは関係ないか。でも思考に影響を与えているので書いておきます。

 もうひとつ、3年生の時に覚えていることは、「おれは第三者の立場で行く」という天啓を得てしまったことですね。小学校なので男子VS女子の論争がたまに起こっていたんですが、それを見るたびにこいつらアカンと思っていました。生まれつきなのか家庭環境なのか、この頃は既に平和主義者だったので、「性別とかいう筋の通らない立場で争っても無駄じゃん」と感じており、何度目かの論争を目にした時、急に頭の中に「争いを俯瞰で見ている自分」の図が浮かんできました。これだ!と思い、第三者/傍観者的視点でやっていくのが向いてるんだと思い込み、今に至るまでの思考のベースになりました。これはけっこう難儀な天啓で、子供なりに編み出した不愉快にならない術だったので疑うこともなく内面化しましたが、これをやると大抵浮きます。言い方を露悪的にすれば、「おれはお前らとは違う立場だ」ということをやっているので、仲間になることができない。この考え方で避けられたこともたくさんあるのでしょうが、22才まで引きずっていると流石にヤバいかな?と不安になってきますね。早く開き直れればいいんですが。この思考が小学校の時に獲得した自分の性格の大きな部分だと思います。何か他にもあったような気がするんですが、小学校だけで長くなってきたのでいったんストップ。

 次に中学校・高校。6年間同じ環境にいた上に、ある程度成長して物事の分別がつくようになっていたので、これまでよりは記憶があるんですが、考えてみると人生に影響を与えたような出来事はないですね。あ、音MAD始めてるか。影響がデカすぎてほとんど人生そのものになっちゃっているので気付きませんでした。中学の時はまだ周りのことをコイツら子供や!と思っていたのでしんどかったかもしれない。高校生になるとみんな落ち着いてくるので過ごしやすくなったのかな。この頃は普通に同学年とも喋っていますね。環境が良かったんですね。嬉しいことです。

 次に大学。ここは現在と連結している記憶ですね。さっきまでは過去の記憶として掘り返してる感じでしたが、ここは生傷っぽい記憶で扱いが自分でもよくわかっていません。ご存じの方もいるかもしれませんが、詳細に書くと一発で特定される環境なので、各年次についてちょっとずつ。1年次、ひどいけどおもしろい。2年次、しんどい、又しんどい。3年次はコロナ渦で完全オンラインになったので1度も大学に行っていません。それまでの2年で人格がだいぶ不安定になっていたので、リハビリ期間になったんじゃないかと思います。不謹慎ですが、人の目を異様に気にしていた人間には願ってもない状況でした。コロナ渦じゃなかったらどこかで飛んでいたかもしれないとたまに思います。4年次、つまり今ですが、よくわからない。ただ、2021年になった瞬間から「今年はイケそうだ」という感覚がずっとありますね。正直言って2018~2020年はいろんな物への興味を失っていたのですが、それが回復しそうという意味です。もう11月ですが、近年ではいちばん働いていると思います。人生ここからかな~。

 去年の自分ですが、いまはそんなことないですよ。こんな長文を書いてしまう程には人格的に「これでいいのか?」と不安なことばかりだと思いますが、楽しめるといいですね。いま槇原敬之の『太陽』ってアルバム聞いてるんですが、WILD RABBITSが好きです。

好きな曲があるのは良いことですね。おれ、頑張ってくれ~!