日報2 22.4.14

四月十四日

久しぶりに対面の講義があった。うちの学科は2020,2021と授業はフルリモート、昨年所属していた研究室(学部の成績がカスすぎて残留できなかった)も放任気味で家作業ばっかりしていたので、マトモに大学で講義を受けるのはちょうど2年ぶりになる。文字で書くと一行であり、実際の主観としてはそこまで問題があったように思えない2年だったが、気付かない内に喪失しているものは少なからずあるのだろう。

おれはASDではないが、かといって定型でもないような気がする。異常に怠惰なだけである可能性もあるが、ホワイトボードに書かれた自分の意見が無い・だまりこんでしまうというのは共感する。自分の意見が無いことを最近発見したような気もする。

日記を書くのも非常に面倒だ。なにか起きたことを、観察し、考え、言語化し、文章として構成するプロセスが、面倒すぎる。ツイッターや人の日記を見ていると、構成がしっかりしているなとか、よくここまで思ったことを言語化できるな、と思うことがよくある。おれのツイッターの使い方は本当に「つぶやき」でしかなく、ほとんど意味のあることを書いていない。

これは、そういうスタイルのツイッターに影響を受けたというのもあるが、そこに横臥している現実は、これ以上の言語を書くことができないというものなのではないか。おれはインターネットに書かないようにしていることが多い。それは後から恥ずかしくなった経験だったり、そもそも書くのがおこがましいという意識から来ているが、もうちょっと体重を乗せたことをやってもいい気がする。

これと殆ど同じことを以前の日記にも書いているが、まったく変わらない。成長なく、自意識だけがループしている。何にも興味がなくなってきている。音MADも見ていない。

学部に入学した頃、「理系には一定数"無"の人間がいる」というツイートを読んで、なりたくないなと思っていたが、4年掛けて見事になっている。どうしたものかな。

世の中には、助けてくれと叫んでいる人が多い。特にネットには多いが、そういう人は大抵、何らかの事象に耽溺していることも多い。それを見ると、情けねえよ自分が。すべての物事に億劫だ。文化的な部分を失っている。それはひとえに己の怠惰、寝る方に逃げてきたことに起因する。文化的な部分の興味しか生活をやっていく術が無いのだから、興味のあることを今一度見定め直そう。

おれは何が好きなんだろう。今日は王様の深紫伝説を聞いていた。女王様も含めた日本語直訳ロックの中で構成とアレンジが一番好きだ。これが30万枚売れたのは納得する。ところどころ、Deep Purpleの原曲よりも好きな箇所がある。Speed Kingのパートは王様版の方が好きだ。日本的には嘉門達夫の系統、コミックソングとして受け入れられていると思うが、その歌唱力とギターテク、本家へのリスペクトも評価されており、こういう真剣さと滑稽さが同居しているものが好きだなと改めて思った。

憧れを捨てて、現実として、自分の意志をコントロールしたいな。とりあえずその日好きだったものを振り返る日記を少し続けてみよう。